闘病する人 良きモデル(その1) ー 星野富弘さん 絶望から希望へ ―
今回の記事は、不慮の事故から、体の自由をほとんど失ったのにも関わらず、花の絵に詩を添えた詩画集を描き続ける『星野富弘さん』についてです。星野さんの生き方は、私たちに、絶望の淵から抜け出す術を教えてくれます。星野さんは、体育教師時代の事故が原因で、肩より下がすべて麻痺してしまいました。それでも、口に筆をくわえて美しい花の絵を描けるようになり、やがて詩画展を全国各地で開催するまでに。そして今日も尚、精力的に活動を続けておられます。
もくじ
【星野富弘さんについて】
【生き方から学ぶ】
【まとめ】
星野富弘さんについて
下記の白黒のアニメーション動画を見ると、星野さんのライフストーリーを振り返ることができます。
「希望の心理学」という本で、星野富弘さんのことが書かれていました。小見出しには、絶望の淵からの脱出とあります。星野さんは、体育の指導中に首を強打し、肩から下の自由をすべて失いました。下記の年譜から、その後の流れを辿ることができます。しかし、1970年に手足の自由を失ってから、1972年、口に絵筆をくわえて絵や文を書き始めるまでの間には、最大の苦悶の日々があったに違いありません。入院中、星野さんのもとを大学の先輩が訪れます。その時に手渡された聖書が契機となって、星野さんは病室で洗礼を受けることになります。
星野さんの苦悶の日々と、その後の洗礼・信仰について、東住吉キリスト教会の伝道者・高橋剛一朗さんが動画中で話されています。下記に貼りつけましたので、ぜひご覧ください。高橋さんは、「制限されることにより気づける祝福」「何かを喪失することで気づいた恵み」という観点から、星野さんの半生を振り返ります。
イエス・キリストの「すべて、疲れた人、重荷を背負っている人は、わたしのところへ来なさい。わたしが、あなたがたを休ませてあげます」と言う言葉に、星野さんは「あっ、私のことだ」と思ったと。そして、何とも言えない、懐かしい気持ちになったと、高橋さんは動画で話されています。
☆☆☆ 星野さんの年譜 ☆☆☆
≪1946年≫
≪1970年≫
群馬大学卒業。中学校の教諭になるがクラブ活動の指導中頸髄を損傷、手足の自由を失う。
≪1972年≫
群馬大学病院入院中、口に筆をくわえて文や絵を描き始める。
≪1974年≫
病室でキリスト教の洗礼を受ける。
≪1979年≫
入院中、前橋で最初の作品展を開く。退院。
≪1981年≫
結婚。雑誌や新聞に詩画作品や、エッセイを連載。
≪1982年≫
高崎で「花の詩画展」。以後、全国各地で開かれる詩画展は、大きな感動を呼び現在も続いている。
≪1991年≫
故郷の群馬県勢多郡東村に富弘美術館開館。ブラジル各都市で「花の詩画展」、現在も継続中。
≪1994年≫
ニューヨークで「花の詩画展」
≪2000年≫
ハワイで2度目の「花の詩画展」
≪2001年≫
サンフランシスコ・ロサンゼルスで花の詩画展。
≪2003年≫
ワルシャワ国立博物館での「バリアフリーアート展」に招待出品。
≪2005年≫
4月、富弘美術館新館開館。12月、富弘美術館の入館者が500万人を超える。
≪2006年≫
5月、熊本県に芦北町立星野富弘美術館開館。6月、群馬県名誉県民の称号を贈られる。
≪2010年≫
富弘美術館開館20周年 富弘美術館入館者600万人を超える。
≪2011年≫
群馬大学特別栄誉賞受賞。
≪2014年≫
富弘美術館入館者650万人。
≪2016年≫
富弘美術館開館25周年。
※星野さんは現在も、詩画やエッセイの創作活動を続けておられます。
■下記の動画から、星野さんの詩画展の盛況ぶりが窺えます。
生き方から学ぶ
体のほとんどの自由を奪われた、当時の星野さんのショックはたいへんなものだったと思います。しかしそこから立ち上がって、口で絵筆を取り詩画展を開催するまでになります。その星野さんの心を支えた一つには、キリスト教の信仰、もう一つには母親の深い愛情がありました。
星野さんが入院中、尿道カテーテルという、おしっこを体外へ排出する管が詰まってしまったことがあります。そのまま放置しておくと危険な状況にもなりかねない事態でした。しかも医療スタッフが直ぐに来られない中、看病していた母親がその管を口にくわえて、直におしっこを吸い上げることで一命をとりとめたという逸話を、高橋伝道者が動画で話されていました。母親の星野さんへの強い愛を感じさせる逸話です。
また、信仰が、絶望から希望へと向かう大きな力となりました。大きな存在によって生かされているという感覚が、星野さんにとって心強い支えとなったのです。
困難な状況下にある時、苦しみもがいている自分を、ちょっとだけ離れたところから俯瞰してみる、もうひとつの視点から眺めてみることが大切なように思われます。星野さんの場合、それが信仰だったのです。
「もう一つの視点」、それは信仰に限らず、心に響いた書物や映画であったり、ふと耳にした言葉だったりと、いろいろあるのだと思います。そうした「もう一つの視点」が、困難に直面した時の私たちに、大きな気づきと、再び動き始めるための力をもたらしてくれるのではないでしょうか。
まとめ
絶望から希望への歩みを体現した星野さんの半生。そこには、私たちの人生に活かすことのできる貴重な学びがあります。また、星野さんの花の絵に添えられた詩には、生きるためのヒントがいっぱい散りばめられています。機会がありましたら、ぜひ、星野さんの詩画集をご覧になってみてください。
「引用元:星野富弘詩画集ねっと.プロフィール.(https://tomihiro.net/profile/).2020/11/14にアクセス」
「参考文献:都筑学(2004)『希望の心理学』ミネルヴァ書房(176-178項)」