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闘病映画から得られるヒント ― 映画『死ぬまでにしたい10のこと』 援助を求める力の大切さ ―

こんにちは、ジョニージョニーです。闘病のヒントを探るために選んだ今回の映画は、『死ぬまでにしたい10のこと』。

 

主人公は23歳の女性アンふたりの女の子のお母さんです。その彼女が医師から余命2か月と告げられます。

 

この映画は、主人公の闘病する姿を描くというより、限られた命の時間枠で、家族のため、自分のために、アンが何をやったのかを描いています。

 

初めにアンは、死ぬまでにしておきたいことをリストにしました。リストにあがった10のことが、この物語の章立てそのものです。

 

リストのひとつは「娘たちが18歳になるまで、誕生日のメッセージを贈る」というもの。

そのためにアンは、自分のいない世界で成長する娘たちのために、自分の想いや願いをテープレコーダーに吹き込みます。自分亡きあと、その音声を聴かせたいと…。

 

この映画から闘病のヒントを引き出すにあたり、私はアンを反面教師と考えました。

じっくり映画をみた後、浮かび上がったのは「援助を求める力の大切さ」と「自己決定すること」。

 

それでは、紹介しましょう!

  目次

 

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闘病映画『死ぬまでにしたい10のこと』 主な登場人物

主人公 アン・マトランド(サラ・ポーリー

17歳で子供を出産し、高校を中退して結婚。幸せな家庭を夫とともに築いてきたアン。しかし23歳のある日、医師からガンであることを告げられます。しかも余命2か月であることも。残された月日を有意義なものにしようとアンのしたこととは。

 

ドン・マトランド(スコット・スピードマン)

アンの夫。アンとはコンサートで知り合い、そのまま結婚へまっしぐら。ドンはアンにべた惚れです。明るくて子どもたちに優しいドン。ただ、アンはそんなドンにちょっと物足りなさを感じています。ドンは新しい仕事が見つかり、家族のために働こうと意気込みますが。

 

ペニー・マトランド(ジェシカ・アムリー)

アンの長女。アンが17歳で産んだ娘。お転婆ざかり。

 

パッツィー・マトランド(ケンヤ・ジョー・ケネディ

アンの次女。アンが19歳で産んだ娘。赤ちゃんを卒業したばかり。

 

アンの母(デボラ・ハリー)

アンの隣に住む。母らしい思いやりもあるが、アンと口げんかになることも度々。

 

リー(マーク・ラファロ

アンの職場の同僚。ダイエットを頑張ろうとするが、なかなかうまくいかない。ちょっと変わっているけど、アンの大切な友人。

 

ローリー(アマンダ・プラマー

優秀な測量士。ローリーはコインランドリーでアンと偶然に出会い、アンに一目惚れしてしまいます。アンは借りた本を返しにローリーの家へ。すると、ふたりの距離は縮まって、まもなく良い仲に。

 

隣人のアン(レオノール・ワトリング

若い看護師。アンの隣に引っ越して来ました。いろいろあって一人暮らし。アンはこの新しい隣人にある思いを託すのです。

 

トンプソン医師(ジュリアン・リッチングス)

アンに余命を告げた主治医。積極的治療を拒むアンの意思を受け入れ、痛みを取るだけの治療をアンに提案。アンは受け入れました。トンプソン医師はアンからカセットテープを預かると、アンが亡くなった後に家族へ渡すと約束します。

 

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闘病映画『死ぬまでにしたい10のこと』 あらすじ

2002年製作/106分/NR/スペイン・カナダ合作

配給:松竹

 

カナダのバンクーバーが舞台。物語の時代設定は1980年頃

大学で教室を清掃するアン。同僚のリーと仲良くおしゃべりしながら、美味しい食べ物の話題に花が咲きます。

 

仕事帰り、母を車に乗せて家路につくアン。車中、仲のよい親子とは言えない雰囲気。母はアンの隣家にひとりで暮らしています。

 

アンの住まいは小さなトレーラーハウス。まさに、狭いながらも楽しい我が家を地でゆく家族。笑顔がすてきな夫ドンと生意気盛りの子どもたち、そのやり取りから家族の温もりが伝わってきます。

 

朝、ドンと子どもたちを送り出すと、アンは突然の激痛に襲われました。運よく母が訪ねて来て、すぐさま病院へ。

 

検査待ちするアン。痛みが治まったせいもあってか子供たちのお迎えの心配ばかり。

検査後、医師がアンの元へ来て卵巣腫瘍と告げました。あと2,3か月の命だと。アンは強いショックを受けます。

医師はアンに飴をなめさせ落ち着かせると、来週、病院に来るようにと。

 

アンは母に電話をし、ただの貧血だと嘘をつきます。心の内では「これまでの人生は夢で、今やっと覚めたこの感じは消えないだろう」と。

 

アンは家に戻ると気丈にふるまって、病気のことはまるでなかったかのよう。ダンの新しい仕事が決まったことを喜びました。

 

夜のレストラン。アンはここで、死ぬまでにしておくことをメモ書きします。

1.娘たちに毎日、愛していると言う

2.娘たちの気に入る新しいママを探す

3.娘たちが18歳になるまで、誕生日のメッセージを贈る

4.家族でビーチへ行く

5.好きなだけ、お酒とタバコを楽しむ

6.思っていることを話す

7.夫以外の人と付き合ってみる

8.男性を夢中にさせる

9.刑務所のパパに会う

10.爪とヘアスタイルを変える

 

夜、子どもを寝かせつけたアン。心の内で「孤独、ひとりぼっち、こんな寂しいのは初めて、嘘だけが友だち」と。

 

深夜のコインランドリーで、アンはリーと出会います。アンはリーにコーヒーを頼みますが、そのままベンチで寝てしまいました。コーヒーを抱えて戻ったリーは、結局朝までアンを見守り続けます。リーはアンのランドリーバッグに本をそっと忍ばせ、目覚めたアンを見送りました。

 

アンは賑わう街中を歩きながら、心の内で呟きます。

今になってよく見える中身のないこの暮らし。中身のない声。………。どんなぜいたく品を見ても、もう欲しいとも思わない。あたしが消えてもなくならないものばかり。あたしが死んでも。……やがてふと気づく。ショーウインドウを飾る品々も、カタログに溢れる商品も、カラフルな色、特売品に、マーサスチュワートのレシピ、それに油たっぷりの食べ物も、どれも死を忘れさせるためにあるただの気休め

アンはリストの三番目に書いたとおり、ひとり車の中でペニーとパッツィーへのお誕生日メッセージをカセットレコーダーに吹き込みます。一段落すると、アンは涙を流しました。

 

アンは本を返しにリーの家へ。すると家の中はがらんどうで、リーひとりきりでした。別れた彼女が家具類をすべて持ち去ってしまったと。

 

何もない部屋でリーは自分のことを話し始めます。測量士としてアラスカやチリで働いたことなどを…。アンが子どもの写真を見せると、リーは幸せそうだねと。君はきれいだけど、幸せそうではないとも。

 

アンは病院へ。「死ぬまでにやることがあるの」とアンは検査を拒否しました。「残った時間を自分の思うとおりに過ごしたい」と。

 

さらにアンは、医師にカセットテープを預かってほしいと頼みます。

医師が「なぜご主人に頼まないのか?」と尋ねると、「ドンじゃ忘れちゃう」とアン。医師は、痛み止めの薬を毎週取りに来ることを条件に、アンの頼みを引き受けました。

 

アンは帰りがけスーパーへ立ち寄ると、心の内で「ここじゃ誰も死について考えない。体に悪いものと知りつつ好きなものをカゴに放り込んでいく」と。

 

アンは、隣に越してきた女性に子どもたちを預かってもらいます。その女性の名もアン。その間、アンはリーとしばしのデートを楽しみました。

 

アンが家に戻ると、隣人のアンが子どもたちと楽しそう。ふたりのアンはコーヒーを飲みながら、普段は話さないようなエピソードを語り合います。隣のアンは看護師で、ひとりでいる理由も分かりました。

 

朝、アンはベッドから子どもたちを見送ります。ドンが他の医者に診てもらうよう言うのですが、アンは貧血だと断ります。みんなが出かけた後、アンはベッドで、今度はドンと母へのメッセージをテープに吹き込みました。人生を楽しんでと。

 

リーとの最後のデート。レストランでリーが「連れていきたいところがたくさんある。ずっと一緒にいたい」と。アンは悲し気にもう出たいと。ドンに迎えに来るよう電話します。リーは陰からそっと、アンがドンの車に乗る姿を見守りました。

 

アンは、隣のアンを夕食に招きますが、体の状態があまり良くありません。ベッドから、隣のアンとドンがふたりして料理を作り、子どもたちがはしゃぐ様子を眺めています。

このままドンと隣のアンが仲良くなってほしいみんなが大きな幸せに包まれるように祈ると心の中で呟きました。

 

下の動画は『死ぬまでにしたい10のこと』の予告編です

www.youtube.com

 

映画『死ぬまでにしたい10のこと』から得られる闘病のヒント

■ 私の感想

まだ23歳のアン。そのアンが余命2、3か月と告げられます。かなりのショックを受けたはずです。しかも、トンプソン医師は告知することを苦手としていました。

 

この映画の公開年は2003年ですが、物語の設定は1980年頃。カナダとの違いはあると思いますが、1990年頃の日本では15%程度の告知率で、告知後のフォローも十分とは言えない時代でした。

 

一家の主婦であり、労働力としても重責を担うアン。結局誰にも、苦しい胸の内を聞いてもらえず、ひとりですべてを抱え込んでしまいました。

そうした状況によく耐え、ベストではなかったけれど、精一杯やった彼女に「よく頑張ったね」と言ってやりたい気持ちです。

あらためてこの物語を振り返ると、アンは反面教師のように思えてしまうのです。その辺から、映画から得られる闘病のヒントを探ります。

 

■ ヒント① 援助を求める力 身近な人に話を聴いてもらう

主人公のアンは、トンプソン医師から告知を受けたにもかかわらず、夫にも母にも病気の事実を伝えませんでした。

 

結局アンは、誰にも辛い胸の内を話せなかったのです。

よく言えばアンは、とても我慢強い女性。ただ、ちょっと短絡的すぎ、思い込みが激しいような……。

 

トンプソン医師からがんを告げられ、アンはむしろ病気から目を背けてしまいます。残された2か月という限られた時間の中で「子どもに何がしてやれるか」「夫以上の男性と付き合ってみる」というふたつに傾注します。

 

私がアンにしてほしかったこと。それは告知の日、ドンと母親にすべてを打ち明けて欲しかった。辛い気持ちをしっかり聞いてもらうことが、アンにとって一番大事だったはず。先ずは身近な人に何もかも話してしまって、できるだけ心を軽くする。これをやっていたなら、アンはもっと良い方向にかじを切れたはずです。

 

■ ヒント② 援助を求める力 支援者を見つけて助けを求める

ドンや母に思いの丈を話せたならこれからのことも一緒に話し合えたはず…。

ドンは「他の医師に診てもらったら」とアンに言っていました。きっとドンや母は、他の医師を見つけるなど、新たな選択肢を一生懸命探してくれたでしょう。

 

そもそも、トンプソン医師も、他の医師を紹介しようか?と言っていました。また、1980年当時のカナダにも、何らかの患者支援団体公的な支援制度があったかも知れません。ドンと一緒にバンクーバー市役所に行き、健康福祉担当の課を訪ねてみることもできたでしょう。

 

隣に越してきたもう一人のアンは看護師です。一緒にコーヒーを飲んだ機会を使って、病気のことを率直に打ち明け、隣のアンに相談してみることもできたはず。

 

トンプソン医師、夫のドン、母親、看護師のアン、これだけ身近に支援を求められる人たちがアンの周りにいました。闘病する人の援助を求める力の大きさは、その後の病気の行方を左右する大きな要因です

 

■ ヒント③ 自己決定すること

福祉援助の原則の一つに『自己決定』があります。

患者や障害者、福祉の利用者が、自らの意思で自らの方向を選択することをいいます。この原則は、利用者自身の人格を尊重し、自らの問題は自らが判断して決定していく自由があるという理念に基づいています。

 

主人公のアンは、自分のことを自分の力だけで決めていきました。アンに後悔はなかったかも知れません。しかしそれは、福祉援助の原則『自己決定』に等しいものだったでしょうか?

 

自己決定の権利は無制限なものではありません。「自己決定能力の有無」、「公共の福祉に反しない」といった制約があります。

 

若いアンは辛いがんの告知を一人で受けました。

心が定まらないまま死ぬまでにしたい10のこと」を作り、誰かから助言を受けることなく、思うがままに決め、動きました。病気のことは封印し、家族崩壊に繋がりかねないリーとの交際など、アンの見通しは甘く、自己決定能力は十分とは言えないものでした。

 

ドンに辛い胸の内を聞いてもらい、少し落ちついたところで、医師と病気について詳しく話し合うことができたはずです。看護師である隣のアンに、率直に尋ねてみることもできたでしょう。

 

公共の福祉という点から考えると、アンは自分の願いだけを追求しましたが、共に暮らす家族みんなのことも考えるべきでした。

告知後できるだけ早く、病気のことを家族に伝えていたなら、アンの容体悪化で初めて病気を知った家族のショックも少なく済んだでしょう。何よりも、大切な残り時間の中で家族と語らい、温かな思いを共有できたでしょう。

 

医師や隣のアンから病気について情報収集して、家族にもしっかり病気のことを伝え話をよく聞いてもらい、その上で、医師を含むみんなの助言を取り入れながら最終的にアンが自分自身で決める!というのが、本当の自己決定なのです。

 

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まとめ

いかがでしたでしょう。今回の闘病映画から得られるヒント。

最初、対象作品をこの映画にしようかどうしようかと迷いました。ちょっとネガティブ系の闘病映画だったからです。精一杯生きようとするアンの姿には率直に心が動かされましたが。

あれこれ迷った末、アンを反面教師として見るなら、いくつかのヒントが引き出せると考え、この作品を選びました。アンには申し訳ないけど。

 

アンの最後の数か月は、ベストではないけど、精一杯の彼女なりのチョイスであり、アクションでしたよくやったと思います!

 

それでは。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。