とうびょうライトハウス

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【闘病時の傾聴のススメ】 病気を持つ人は誰かに話をきいてもらうことが大事です

 

今回は、私の回想録を手がかりに、話を聴いてもらうことの大切さについて記事にしました。

病気を持つ人は、時々、誰かに話をしっかり聴いてもらうことが大切です。

病気を持つ人の傍にいる方は、その方の話を丁寧に聴くことが大事です。

病気を持つ人と支える人との間でしっかり丁寧な傾聴が行われるなら、病気を持つ人の心の負担がとても軽くなります。

 

日々、病気と向き合い続けていると、いろいろな思いを心に溜め込みがちです。はけ口を失った思いは、やがて心の底に積み重ねり、うつなど精神的な不調をきたすことにも……。

そうした心の負担を減らすためには、安心して話せる誰かに、胸の内を聴いてもらうことがとても大切です。

話を丁寧に聴いてもらうことで、心のよどみは澄んでいき、病気を持つ人の気持ちが柔らかくなります。

家族や友人の方は、大切な人が病気と向き合っている時、通常の会話とは違う、傾聴スタイルの会話を交わしましょう!きっとその方の気持ちに良い変化が表れて、表情も明るくなります。

記事の後半では、傾聴のミニ知識を記載しました。参考にしてください。

 

 目次

 

私の傾聴体験 回想録より

もう20年以上も前のこと。40度近い発熱と、うなり声をあげないではいられない痛み、そんな私の長期入院がひとまず幕を閉じます。

代わって、在宅での長い療養生活が始まりました。症状が落ち着いたのは良かったのですが、これからどうしようか、何をしようかと惑い始めることに。

 

再び体調が悪化する不安も顔を覗かせます。そうしたある日のこと、私はふと、よく知る内科医を訪ねることにしました

 特に体調を崩していたわけではなく、親しい先生に胸の内を聴いてもらいたくて、診察時間外におじゃましました。

 

クリニックの応接室に通されると、先生はいつものように冗談交じりの話で場を温めてくれます。椅子に腰かけて先生と向き合うと、これまでの経緯をあらためて話しました。先生も大方承知のことではありましたが。そもそも現在の専門医を紹介してくれたのは先生でした。

 

いつも通り、にこやかに対応してくれる先生に気持ちが和らいでいくのが分かりました。私は、自分の行き場のない気持ちを話し始めました。時に、ある事にしつこいくらい怒りをぶつけてみたり、時に、たわいもない事をだらだらと話したり

 

そのような私に対して先生は、ふんふんと頷いたりほっーと関心してみせたり、そうなんだね、と分かってくれたり……。とにかくていねいに私の話を、求められない限り意見をはさまずに、いつも通りのにこやかさで聴き続けてくれました。

 

当時は今ほど、カウンセリング傾聴といった言葉が一般的に知られておらず、やっと世に広まり始めた頃でした。しかしながら、内科医として先生は、患者との対話の重要性に早くから気づき、傾聴カウンセリングの手法をすでに会得していたのです。

 

話を丁寧に聴いてもらう個人面談を、10回近く受けさせてもらいました。ある日のことです。いつものように話を聴いてもらった帰り道、ふと、自分の気持ちが真っ白になっているような感覚が……。何かがリセットされたような感じとでもいうのか。

 

確信めいたものが浮かんだとかいうのではなく、不安と惑いで埋め尽くされていた心の中が、いつの間にかすっかり整理整頓されたような。不安や惑いがすべて無くなった訳ではないのですが、それぞれがちゃんと整理箱に収まったような感覚でした。

私は、この日から少しずつ、将来に繋がるアクションを起こし始めます。

 

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傾聴について

諸富祥彦先生の著書『新しいカウンセリングの技法』から引用させて頂きました。ご一緒に、傾聴についての理解を進めてみましょう。

「引用元:諸富祥彦(2014)『新しいカウンセリングの技法』誠信書房 19-27項」

 

■下記のように、諸富先生は傾聴の大切さを説いています。

「プロのおこなうカウンセリング」であれ、「一般の人がおこなうカウンセリング的かかわり」であれ、「気持ちと気持ちのつながり(リレーション)」のある「援助的人間関係」がその基本となります。

ではその「援助的人間関係」の確立には何が重要なのかというと、それはやはり「傾聴」です。相手の話にていねいに耳を傾けて、こころのひだまで「聴いていく」姿勢。「傾聴」があらゆるカウンセリングで最も重要なものです。

 

■下記のように、諸富先生は傾聴における基本姿勢として、三つを挙げています。

1.余計なことを言わない。

相手の話を聴くときに重要なのは、「何を言うか」ということ以上に、「どんなふうに相手の気持ちに寄り添って聴くか」ということ、そして「何を言わないか」ということです。

2.解決しようとするな、わかろうとせよ。

悩みを話してくれた相手に対して、何とか役に立とうと、「それは、こうすればいいんじゃないかな」「それは、こういうことだよ」と、すぐにアドバイスをする人がいます。もちろん善意でそうしているのですが、言われたほうは、かえってつらくなることがあります。

3.善悪を問わない、価値評価をしない。

「してはいけないこと」だということはよくわかっている。それなのに、つい「してしまう」ことが人生にはつきものです。だから悩んで、相談してくれたのです。にもかかわらず、「それはいけないことだ!」と一刀両断にされたのでは、本人は、ますます追いつめられてしまいます。「してはいけない、とわかっていても、してしまう」。その気持ちをじゅうぶんにわかろうとすることが大切です。

 

■また諸富先生は、傾聴してもらった人はどのようになるのか、について下記のように説かれています。

では、自分の悩みや苦しみを「わかってもらう」こと、「傾聴してもらえること」には、どのような意味があるのでしょうか。「傾聴してもらえて」「わかってもらえる」と、その人には、何が起こるのでしょうか。「わかってもらえる」ことで、人ははじめて、自分の気持ちに素直に向かい合うことができるようになるのだと、と私は思います。つまり、人は、誰かに「わかってもらえる」ことで、はじめて自分自身になれる。自分自身の内側にていねいにふれて、みずからのこころの声にやさしく耳を傾け、自分らしい生き方をし始めることができるようになるのです。

 

 ■傾聴の基本的な考えについて、ご理解いただけたでしょうか。他の文献では、以下のような解説もあります。

「引用元:鈴木秀子(2005)『心の対話者』文芸春秋 34-45項」

 

「話をしっかり聞く」というのは、具体的に、どのようにすることであろうか。それは、まず相手の話す言葉に注目し、言葉を聞き逃がさないようにすることである。さらに、相手がどのような表情、しぐさ、声の調子で言葉を発しているかに注目する。そうして、相手の話を否定も肯定もしないで聞くことができれば、さらに好ましい。

相づちの意味…「へえ」「そうですか」「なるほど」など、相づちにはさまざまなものがある。相づちは、「あなたの意見をしっかり聞いています」というメッセージを相手に伝えるための短い言葉であって、バーバル・メッセージとしての意味以上に、ノンバーバル・メッセージとしての意味が大きい。

※バーバル…言葉による。 ノンバーバル…言葉を用いない。

相手が話している際に、「ええ」「ほう」「ふむふむ」などと合いの手のように相づちを打つのは、首をかすかに振るうなずきと同様に、「聞いていますよ」「興味がありますよ」というメッセージを伝えていることになる。

 

傾聴について基本的なところを、文献を参照しながら理解を進めました。傾聴の基本的なところを理解するだけでも、日常生活の中で、大切な方との会話にそのメリットを活かせるのではないでしょうか。

 

まとめ

 私の回想録と共に、得られた大切な体験を踏まえつつ、傾聴をテーマにお話しました。

傾聴される側の人は、聴いてもらうことで得られる効果があり、一方、傾聴する側も、大切な方との関係性がより良くなるという効果が期待できます。

闘病中の方が、家族、友人、知り合いにおられるなら、その方との傾聴を意識した会話にぜひトライしてみてください。きっと、なにか良い変化、良いきざしが表れくることでしょう。