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闘病する人 良きモデル(その4) ― 藤田正裕さん 一般社団法人 END ALS 創設者 ―

こんにちは、ジョニージョニーです。今回の記事は、闘病する人に学ぶシリーズ『良きモデル』の第四回目。END ALS の創設者、藤田正裕さん(通称・ヒロ)を紹介します。

現在ヒロさんは、ALS(筋萎縮性側索硬化症のため、人工呼吸器を付けた状態で昼夜生活しています。全身の自由を奪われながらも、眼球の僅かな動きで支援者に意思を伝えたり、PCを操作したりと、工夫を重ねながらコミュニケーションを取り続けています。

ALSという困難さにありがならも、ヒロさんは一般社団法人 END ALSを設立します。END ALSは、ALSの治療法の確立患者支援をmissionとしています。またヒロさんは、外資系広告会社のプランニングディレクターでもあり、その経験値がヒロさんの活動にうまく活かされ、またその活動をユニークなものにしています。

ヒロさんの活動の様子は、テレビやネット上でもよく採り上げられています。ALSという病気を多くの方に知ってもらおうと行動し続けるその姿は、人々の心を強く揺さぶります。私も、そのタフな活動振りには驚かされ、と同時に勇気づけられます。今回、初めてヒロさんの姿を知る方も、きっと心の深いところで何某かの気づきが得られることでしょう。

それでは、以下に紹介します。

 

   もくじ

 

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◇ 筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは

 運動神経が破壊されていく、神経障害の難病

四肢、舌、喉といった部位の筋肉が痩せていき、筋力が低下する神経変性疾患。1年間に人口10万人あたり1~2人が発症するとされ、中高年が好発年齢といわれる。男女比では、男性の発症が女性の2倍程度となっている。

進行するスピードが速く、発症後3年から5年で罹患者の半数ほどが呼吸筋麻痺に至り、死に直面するとされる。原因としては遺伝的要因を中心にいくつかの説があるが、確かではなく、現状では根本的な治療法も存在しない

 

◇ 藤田正裕さんについて

ヒロさんは、1979年11月東京に生まれます。間もなく父親の仕事の関係から、アメリカ、スイス、イギリスなど、海外で18年間生活することになります。

ハワイで大学を卒業後、シェラトンホテルのコンセルジュを勤めます。その後、2004年に帰国外資系広告会社マッキャンエリクソンに入社。戦略プランニングディレクターとして活躍します。

2010年、ヒロさんは31歳になる直前にALSと診断されます。ヒロさんはALS患者の状態を”TOTALLY LOCKED-IN STATE"(完全に閉じ込められる)と話します。しかしそのような状況下にありながら、ヒロさんは2012年に一般社団法人 END ALSを創設。以後、ALSを終わらせようと、ALSを広く周知するための活動に力を注ぎます。そして現在も。

 

 ※共同通信社のニュース動画です。ご覧ください。

www.youtube.com

 

◇ ヒロさんの告知場面 (著書より)

先生たちから「親も呼んだほうが」と言われた。

「なんだよ、大げさだな」と思い、兄と二人で話を聞くことにした。

病棟の小さな会議室に、先生二人、兄弟二人。

2010年11月26日、ALSと宣告された。

先生がこの病気のことを細かく説明してくれたが、

内容はほとんど覚えていない。ただ、

「ゆっくり全身麻痺になり、死ぬ。そして治療薬はない」

ということだけわかった。

心境は説明できない。

その瞬間から、人生が変わるのを体全体で感じた。

兄と目を合わせて「ウソだろ」と

心の中でボソッとつぶやいた。

その後、二人で病院の周りを歩いた。

泣いて、笑って、怒って、狂った……。

近くのお寺で手を合わせた。

「助けてください」から「テメーも死ね」まで、

わけがわからなかった。

その夜、一人でひたすらYou TubeでALSのビデオを見た。

つらいどころじゃなかったけど、

「逃げちゃいけない」と、調べまくった。

変な冷静さから、突然、

心拍数500ぐらいの気持ちを繰り返し、

一睡もできなった。

 ☆私の感想☆

告知の瞬間の前と後では、まるで世界の色合いが変わります。私の経験を振り返ってみても。ヒロさんは、お兄さんが一緒に居てくれて幸いでしたが、それでも衝撃そのものは自分で受けとめるしかありません。私は、病気のカラダを着ぐるみのように脱ぎ去ってしまいたい感覚に襲われました。もちろん、そうはできません。感情的には、土砂降りの雨とどんよりとした曇りの日を繰り返していくようでした。ヒロさんの告知時の辛い気持ちがとても良く分かります。

私が知るところでは、告知した直後のショックをフォローできる病院は決して多くありません。よほど患者さんが精神的に取り乱さない限り、心理士等に繋ぐことはないようです。ここ10年程は、難病やがん患者に対するメンタル支援は格段に進んだと感じていますが。にも関わらず、告知についてフォローのできる病院は少ないようです。重い病を告知する際は、患者さんの様子(感情を表すかどうか)がどうであれ、告知後、小さな面談室を用意して、心理士や看護師とお話のできる時間を設けて欲しいと予てより考えています。

 

◇ END ALS の活動

ヒロさんがALSを発病して間もない2012年、一般社団法人END ALSは設立されました。END ALSは、日本だけでなく、世界に向けてALSの認知・関心を広めること。厚生労働省や医療研究機関などに対し、迅速な治療法の確立ALS患者の生活向上を働きかけることを目的としています。これら二つのミッションを柱として、ヒロさんとヒロさんの支援者らは活動を展開しています。

そのミッションの内容は、具体的には以下の通りです。

 

ミッション1 治療法の確立

ALS治療の可能性を秘めた研究を支援。

ノーベル医学賞を受賞した山中教授の研究によるiPS細胞発見により、

様々な難病の治療研究が大きく前進する可能性があるが、極めて進行の速いALSの治療は時間との戦いであり、

細胞技術の実用化がALS治療の早期普及への鍵となるため、この研究への公的支援の促進などを働きかける。

 

ミッション2 患者の生活向上の支援

可能な限り普通の生活、苦しみの少ない生活を、ALS患者は最新技術によって手に入れることができる。

しかし、公的医療保険のほとんどの規約は、これらの最新の介護用品をぜいたく品として定めている。

私たちは、募金活動によって介護用品を患者に提供する等、即実行可能な施策を自ら行うなど、

様々な角度から関係機関に働きかけ、保険制度の改善など取り組み強化を促進する。

 

☆私の感想☆ 

重い病を発症した患者さんが、その病気の患者会やサロンを立ち上げることはあっても、ヒロさんのように、治療法確立まで踏み込んだ活動を行える人はごく少数です。そうした活動を実践できるというのは、多くの支援者の助力もあると思いますが、治療法のない病の根治をめざすヒロさんの熱い願いがあるからこそなのです。希望を抱き続けられるヒロさんのタフさに脱帽します。

 

◇ プロジェクト「Still Life」について

難病ALSの認知がなかなか進まない中、ヒロさんらはStill Lifeというプロジェクトを立ち上げます。それはALS患者が絵画のモデルに挑戦するというものです。その試みは社会にインパクトを与えました。

下記は、その様子を伝える動画です。

www.youtube.com

 ☆私の感想☆

私は自分が罹患した当初、病気の事を人に伝える事や知られる事にとても臆病でした。いやむしろ、人そのものを避けていた気がします。ところがヒロさんは、公衆の前に自らをさらけ出して、絵画のモデルにまでなろうとします。こうしたStill Lifeのアクションのみならず、END ALSの多様でユニークな活動にはヒロさんの広告プランナーとしての経験がうまく活かされています。こうしたプロジェクトを展開し続けられる背景には、ヒロさんのALS撲滅に対する強固な信念があるのを感じないではいられません。

 

まとめ

今回の記事では、難病ALSの患者、藤田正裕さんを紹介しました。ALSを罹患しても、ここまでやれるんだと、驚かされるばかりです。著書も読ませて頂きましたが、ALSになっても、幼少期、青年期からのヒロさんのパーソナリティのユニークさ、エネルギッシュさが、そのまま今のヒロさんにも活かされていると感じました。まだまだこれからも、ヒロさんの活動、END ALSのプロジェクトから目が離せません

 最後までご覧くださり、ありがとうございました。

 

 《参考サイト:END ALS.http://end-als.com/index.html#mission.(2021.4.5にアクセス)》

《引用・参考文献:藤田正裕『99%ありがとう ALSにも奪えないもの』ポプラ社、 2013年》

《引用文献:白井幸久(監修)『ケアマネのための医療知識ハンドブック』ユーキャン 学び出版、2015年》

 

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